微分積分席替え気分@東大

河合塾本郷校での浪人を経て東大に合格した文一生による、のんびりとした日常のブログ。

両論摂取

両論併記、という言葉を最近良く耳にする気がします。

 

最近で印象に残っていることといえば、検察庁法改正に対する議論が盛り上がった時のことですね。あの時は相当多くの人が当該法の改正に反対していて、芸能人も一般人も謎に強いエネルギーを持って動いていたように思います。その時に何度亀にしたのが、「今回の問題については、本来なら両論併記したいところだが、改正に賛成している意見をほとんど目にしないので両論というのが難しい」というような話です。その後、TBSの安住紳一郎アナウンサーが、彼の出演する番組中で、両論を併記したフリップを使って解説をしている様子を見たと記憶しています。

 

この問題は、公務員の定年を延長すること自体には(少なくとも国家行政権力の拡大という問題に関して言えば)そこまで問題がないが、それと抱き合わせで議論が進んだ、検察庁の幹部人事・定年の年齢に時の行政府が介入するのはまずいのでは?というようなまとめ方をなされていたと思います。これもある意味で両論併記的で、ある一面では評価できるが、他の一面では批判されて然るべきというのが現れていたと思います。

 

僕は昔から「何が正しいのか」「少なくとも自分は何が正しいと思っているのか」ということをよく考えつつ、その答えを出せずにいました。しかし最近では、少なくとも前者の問には答えなど出せないというふうに思うことにしています。

 

川人ゼミやその他様々な授業などを通して学んでいくと、そこではそれぞれの人がそれぞれの正しさを主張しているということがわかってきました。答えは決して一つではないし、それぞれが言っていることもその人の立場においては一定の正しさを有しています。それらは一部だけが対立していることもあるし、真っ向から対立している場合もあります。

 

僕は、こうした意見の対立に対して、どちらが正しいかを判断しようとするのではなく、自分にとってどちらのほうがより親和性が高いのか、何故自分はある一方に親和性が高いと感じるのか、ということを考えるほうがずっと建設的だと思うようになりました。そもそも自分の考えという物自体過去のあらゆるインプットの集積に過ぎませんから、完全オリジナルというのは土台無理な話です。その上で、自分は両論を摂取した時にどちらを選ぶのかということを自分で観察した上で、自分の選択の背景にあるものを探ることで、自分の考えというものも見えてくるし、完全な「正しさ」ではなくとも「正しそうなもの」「より多くの人が良いと思うもの」が何なのかに迫ることはできると思います。

 

今一番熱い話なら、PCR検査数を増やすべきか否か、というものでしょうか。これはそれぞれの立場の人があらゆる事を言っていて、それらに一定の正しさとポジショントーク的ないやらしさが両方含まれていると思います。そもそも僕のような素人にとってこうした専門的問題を全て理解するのは、十分に勉強を積み重ねない限りほぼ無理だと思うので、それこそいい加減な私見を述べるのはやめておきます。その上で自分が一番いいなと思っている意見は、岩田健太郎医師の「検査数を増やすべきか否かという議論自体がナンセンスで、必要な人に必要なだけやればいい」というものです。ソースは以下の記事です。

 https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-kentaro-iwata-1 

 

議論の設定自体に誤りがあるというような話はよく耳にしますが、これもそういう問題のひとつなのかなと思っています。

 

今後も様々な機会で学ぶにあたっていろいろなことを言う人に出会うと思いますし、自分自身もいろいろなことを言うと思います。その時に、両論を摂取した上でした発言なのか、自分でよく内省してみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは~