微分積分席替え気分@東大

河合塾本郷校での浪人を経て東大に合格した文一生による、のんびりとした日常のブログ。

黙読時の脳内音読

昨日、1年半所属していた川人ゼミの最終講義がありました。これにてゼミのOBとなってしまいました。なんとも感慨深く、少し寂しいところであります。これについては後でまとめます。

 

さて今回は、自分が読書をしているときに感じていることについての話です。

 

タイトルのとおり、僕は読書をするときに脳内で音読をしているような状態になっています。だいたい自分の声のようなイメージで再生されています。そのため、僕の読書のペースはその音読のスピードに依存することになってしまうのです。これは結構由々しき問題で、いわゆる速読というものに限界が生じてしまうことになります。

 

この癖がいつ生じたものなのかは自分でも定かではありませんが、少なくとも物心ついた頃から、というようなものではない気がしています。

 

というのも、昔は特に速読が得意という自負がありまして、児童文庫系の小説はぱっぱと読み終わってしまうのが常でした。しかし最近は、どうも昔より時間がかかってしまっているように感じるのです。

 

これは、読んでいるものの内容が昔に比べて難しくなっているために、よく吟味して読み進めなくてはならないということもあると思います。しかしながら、それだけではないような気がしているのです。

 

考えられる原因の1つとしては、大学受験に向けて本格的に英語学習を進めていくことになったときに、音読学習をその中心に据えていたことがあります。

 

高3時からは先生などに勧められたシャドウイングに特に凝っていて、ひたすら耳に入ってきた音声に合わせて音読をしていくことが一種の趣味的なものになっていました。そうなると、文章を読むことと音声がかなり密接に関連してくることになったのです。浪人中もその傾向は続いて、帰り道の歩きはブツブツとシャドウイングを続けていました。

 

こうした音読が、無意識のうちに頭の中でも行われるようになっていったのではないかというのが今の考えです。

 

ちなみに、「東大医学部の異端児」として有名な水上颯さんは、UmeeTのインタビューにて、

ただ、文字を読んでいてもそれが音として頭の中で流れることはありませんね。文字情報と音声情報はそれぞれ別に処理しています。頭の中で音読は絶対にしないです。 

 と答えています。やはり、速読を考えるなら、音読と黙読は切り離されるべきものなのだなあと思います。元の記事はいかに貼っておきます。

https://todai-umeet.com/article/39104

 

他にも、こうした事例について書かれた記事や研究などを昔読んだ覚えがあるので、気になる方はぜひ探してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは~