微分積分席替え気分@東大

河合塾本郷校での浪人を経て東大に合格した文一生による、のんびりとした日常のブログ。

春近し

各大学の合格発表が続々と出てきていますね。10日には東大・京大の発表です。僕が東大に合格してから、すなわちこのブログを始めてからまる3年が経とうとしています。時の流れは恐ろしいです。

 

時の流れを実感するイベントとしてもう一つ大きいのが、就職です。

 

僕は1浪なので、現役で大学に行った高校同期たちはもう4年生。いよいよ春からは社会人になるということで、ついこないだまでバカをやっていたのがウソのようです。

 

さらに、花粉症の症状が重くなってきていることも、僕に春の到来を予感させます。もちろん、3月は既に春なんですが、新年度からが本当の「春」って感じがしませんか?しませんかね。

 

年度の変わり目は、年の変わり目と同じく、何らかの目標を立てたくなりますよね。そこで、僕も来年度の目標を考えてみました。「一年の計は元旦にあり」と言うにもかかわらず、今年は元旦どころか1月が終わってもまだ目標を立てなかったので、新年度を前にしたこの時期の「計」で許してもらうことにします。

 

 

目標①読書

もはや通年で掲げている目標なんですが、やはり読書をしたいなという思いは常にあります。そこで、まずは春の期間で「これは読むぞ」という本をリストアップしてみました。

 

【一般】

 

【法律予習】

 

【法律一般】

 

ざっとこんなもんでしょうか。全部で18冊です。

 

これを考えるにあたって、「大学1年生になる前の春休みに自分は何をしていたか」と思い浮かべたら、ひたすら読書をしていたことに気づきました。暇すぎて、1日1冊以上をノルマとしてどんどん読み進めていたんですよね。

 

なお、かつて僕が1日1冊ペースで読んでいたのは小説がメインでした。一方こちらは学術書・基本書ばかり。1日1冊進めるのはかなり困難である上、当時より時間も集中力もないので、少なくとも春休み中には到底読み終わりそうにありませんね。

 

まあ、せっかく休学することですし、広義「春」、すなわち5月いっぱいまでで読み切ることを目標に頑張ります。そこまで期間を広げれば、社会通念上相当な量と言えるはずです。勉学に対して熱い心をお持ちの方にとっては、まだまだ甘いと見られてしまうかもしれませんが。

 

ちなみに、今回の選書は、授業でおすすめされた本・論文や、今後履修予定の科目の予習となる本を中心にしています。基本書の類はどんどん読んで、レビューを書いていきたいところです。

 

目標②タスクを先送りしない

最近の僕の悩みは、「タスクを先送りしてしまう」ということ。5分ちょっと手を動かせば終わるようなタスクでも、めんどくさいと思ったが最後、ついつい先送りにしてしまうんですよね。

 

たちが悪いのは、先送りした後です。多少遅れたりぎりぎりになってしまったりしても、すぐに取りかかればまだリカバリーできますよね。しかし、最近の僕の場合、「遅れてしまっていて気まずいから着手できない」、「ぎりぎりになって連絡するのはなんとなく気が引ける」などと考えて、さらに先へ先へと放置してしまうのです。

 

そこでまずは、「気まずいとしても思い立ったらやる」ということを徹底していきます。このブログの更新や日記の執筆もその一つです。「こんなに溜めちゃったから、もういいや」ではなく、今までの遅れはいったん忘れて、思い立ったその時からまた再開するという気持ちで進んでいきたいです。時効の更新のように(違うか)。

 

目標③よく寝る

よく寝るのは特技中の特技なので基本的には問題ないのですが、最近少し夜ふかしグセが付きつつあることが懸念点です。

 

25時には寝たいな、と思っているので、「25時を過ぎたらもう遅い時間だよ」という認識を自分に刷り込ませていきたいです。

 

とりあえず、来年度の目標はこんなところでしょうか。「頑張る」で終わらせず、少しでも達成していきます。特に読書は、読んだらここで報告していく予定です。報告することがモチベーションになったらいいなあ(願望)。

 

 

 

 
 
 
 

 

それでは〜

 

入試も迫り

来週の今頃は、東大なら英語の試験が佳境を迎えている時間帯でしょう。いよいよ前期日程も終わりが近づいていますね。

 

僕はというと、相変わらず自堕落な生活を送ってしまっています。僕の場合、勉強したいという意思から実際に行動するまでには、それなりに大きな溝があります。大学3年間でわかってきたことは、僕はその溝を埋めるのが決して得意ではない、「普通」の人間だということです。

 

習慣化するまでが大変

入試に迫られていたあの頃は、毎日ほぼ全く同じ日々を送っていました。同じ時間に起きて予備校に行き、休憩もほぼしないまま1日中勉強して、同じ時間に家に帰り、そのまま寝る。

 

当たり前のようにこれができていたのは、やはり大きなプレッシャーがかかっていたからでしょうか。それとも、「習慣」として完全に定着していたからでしょうか。

 

物事が習慣化すると、何も疑うことなくそれを続けることができますよね。しかし、その境地に至るまでが難しい。そのためには、やはり何らかのプレッシャーや目的意識が必要なのだろうなと思います。

 

最近は、ドイツのとある大学のサマープログラムに申し込もうとしています。ちょうど2年前に取得したIELTSのスコアが期限切れになるので、新しく受け直さねばなりません。英語をまともに勉強する機会がしばらくなかったので、受けるならいい加減始めないといけないのですが、重い腰を上げられずにいます。

 

どうやって自分を追い込むか、画策中です。英語の勉強を習慣化するために、何か心を決めるか、やらざるを得ない状況を作り出さねば。

 

記事整理の予定

久しぶりに更新したついでにアクセス解析を見てみたところ、今でも多くの方に読んでいただけている記事があるとわかりました。

 

特に、河合塾本郷校について語った記事には、それなりのPVがついています。ありがたいことです。

 

そこで、この春の間に少し過去記事を整理することにしました。

 

当時書いた内容は当時の僕にしか書けないので、内容面を変えることはありません。しかし、読み直すと稚拙な表現があったり、誤字があったりするため、その辺りの形式面を整えようと思っています。見出しなどもつけて、読者の方にとって少しでも見やすくする予定です。

 

受験でうまくいかなかった人が浪人を検討する際などに、このブログを参考にしていただけたら嬉しいですね。僕自身、河合本郷を選ぶまでには、各種ブログや説明記事を相当読んで、他予備校と比較検討していました。

 

早くも浪人の話をしてしまいましたが、今年の受験生が今から浪人について考える必要はありません。ラストスパート、頑張ってください。僕も、英語や法律の勉強頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは〜

新年明けまして

おめでとうございます。新年の挨拶をするにはあまりに遅く、2月も中旬に差し掛かってしまいました。

 

前回更新が10月後半だったので、ほぼ4ヶ月ぶりの更新です。

 

今回は3部構成でお送りします。

去年の話

前回記事で紹介していた『国富論』は、無事年内に読み終わりました。とても長く、正直ほとんど理解できていない自信がありますが、面白かったです。内容もさることながら、ところどころでアダム・スミスが毒舌になるのも好きでした。

 

本筋と関係ない箇所で面白いなと思ったのは、

……しかしながら、教師が自分たちの義務を実際に遂行しているところでは、そもそも学生の大部分が各自の義務を怠るといった事例は起きない、と私は信じている。いかなる規律も、実際に出席する価値がある授業への参加を強制するように求めることは、けっしてない。
アダム・スミス(高哲夫訳)『国富論(下)』398頁(講談社、2020))

です。

 

この箇所では、大学の規則が「教師は賢く、学生は愚かである」と前提していることに対して反論しています。すなわち、「ある程度の年齢に達した学生は、教師がその義務を果たす限り、強制せずとも自主的に教育に参加するだろう」というような論調です。

 

はたして弊学部の学生が「各自の義務を怠」っていないかと言われると、かなり怪しいところがあるな~と思って読んでいました。笑

 

さておき、上下巻合わせて約1400頁というかなり分厚かった本書を一応読み通したことで、(意味のない)自信を生むことができました。「(神の)見えざる手」というフレーズしか知らない人が多いため、「ま、俺は全体を読んだけどね」という小並感溢れるマウントを取ることもできます。取る相手はいませんが。

 

そして、昨年まで一緒に読書会をしていた友人が、今年に入ってついに長旅から帰ってきました。これを機に、どこかで『道徳感情論』にも挑戦したいと思っています。一般にはあまり知られていませんが、こちらもアダム・スミスの思想がよく示された名著だそうです。

 

今年の話

1月末でテストを終えました。法学部に来てから3回目になりますが、相変わらず緊張しました。

 

今年はついに対面試験になるかどうかとドキドキしましたが、結局オンラインに落ち着きました。余計な移動の機会が省けること、勉強の負担が多少減ることはよかったですが、テストで点が取れたかというと……。

 

やはり、先生方がオンライン試験に慣れてきている印象があります。質・量共にかなりしっかりした内容が問われているなと感じました。

 

また、オンライン試験だと、試験が終わった後に「この科目をこれだけ勉強したな」という感慨に浸りづらいんですよね。もちろんある程度までしか勉強しないのが悪いのですが、「暗記しなくてもいい」と思ってしまうと、つい浅い勉強に留まってしまいます。精進せねばいかんですね。

 

終わったものはどうしようもないので、後は成績が出るのを指をくわえて待っておきます。

 

今年だけど来年度の話

まず、僕は来年度休学する予定です。テスト前後で結構急に決めました。

 

元々少しゆっくりしたかったのと、留学に行けなかったのと、やりたい・やらないといけないことが重なったのとで、休学して時間を作ることにした、ということです。

 

まだ書類を提出していないので、受理されるかは分かりませんが、おそらく大丈夫だろうと期待しています。「申請」(行手法2条3号)ではなく「届出」(同7号)だといいですね。

 

休学中にやろうと思っていることは複数ありますが、やはり1つは法律の勉強の自主的継続です。

 

僕は、大学受験生の頃から、参考書の類について調べることがかなり好きでした。それは今でも変わらず、司法試験を受けるわけでもないのにおすすめの基本書・参考書を結構調べています。司法試験受験生にはかなわないかもしれませんが、予備校漬けの人よりは詳しい自信があります。

 

といっても、僕がやっていることは「レビューサイトを参照しまくる」ことであって、「実際に本を読む」ことではありません。受験生としては最悪のパターンですね。

 

もちろん、授業で指定された教科書など、最低限のものは読んでいます。しかし、知っている本の量から考えると、読んだ本の量はかなり少ないです。

 

ということで、休学期間中は、頑張って「実際に本を読む」ことをしていきたいと思っています。ゆくゆくは、基本書レビュアーとして一世を風靡したい……とまでは思いませんが、読んだ上でちゃんと書評を書いてみたいです。

 

とりあえず、現状でできる「読んだことがあったりなかったりする本たちのレビュー」については、どこかに吐き出して僕の気持ちを収めたいと思っています。なので、実際に読んでしまう前に、このブログで供養するつもりです。

 

そういうわけで、旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

それでは~

最近読んでいる本

今週のお題「読書の秋」

 

ということで、今回は最近読んでいる本を紹介します。

 

国富論

「見えざる手」でおなじみのあれです。

 

以前紹介したかもしれませんが、僕は現在、大学の友人と読書会を開催しています。

 

ついこの間までは3人でやっていたのですが、1人がアメリカに行ってしまったため、今は哲学に造詣が深い残りの1人と継続中です。

 

その読書会で今扱っているのが、アダム・スミスの『国富論』です。

 

もともとは世界史で署名を聞いたことがあるくらいでしたが、読み始めるとなかなか面白い……と気軽に言いたいところですが、そう簡単にも行かないのが実情です。

 

まずは分量。今1番新しいのはおそらく講談社学術文庫版で、上下2分冊で合計1500pほどあります。しかも行間がそれなりに詰まっているので、そこら辺にある文庫よりは明らかにボリューミーです。

 

さらに、当然ですが内容も難しいです。おまけに訳も結構直訳調でして、スラスラと読み解ける感じではありません。だからこそわざわざ読書会で扱うわけですが。

 

内容としては、とにかく「自由最高」「見えざる手バンザイ」みたいな感じなのかと思いきや、これも必ずしもそういうわけではないのが興味深いところです。

 

そもそも「見えざる手」というフレーズは、約1500pという長編の中にたった1回しか登場しません。さらに言えば、講談社学術文庫版では、なんとこのフレーズが「見えない手」と訳されています。いやそこは変えなくてよかったでしょ。

 

よくもまあ後世の人々はこのフレーズを見つけて引っ張ってきたものです。

 

確かに全体としては自由競争に委ねたほうがよい、ということを主張しています。しかし、スミスは必ずしも「自由だけが全て」「国は何もするな」と言っているわけでもなさそうなのです。当時いいように利益を貪っていた既得権の打破、というのが根底にありそうでした。

 

また、スミスにはもう一つの名著『道徳感情論』というものがあります。世界史などではあまり出てきませんが、こちらではその名の通り道徳や精神的な問題について論じているそうです。『国富論』でも時折『道徳感情論』に関連する内容が出てくるんですよね。その辺りを考えても、単に自由競争を礼賛した競争主義者、血も涙もない自由主義者、というわけではなさそうです。

 

もちろん僕は経済学を修めているわけでも、今後修める予定があるわけでもないので、いい加減なことを言っていたらごめんなさい。

 

しかし、あまりに有名になりすぎたワンフレーズやイメージに囚われすぎず、原著を読んでみて、そこから自分がどう感じるかを大事にすることも必要なのかな、と思ういいきっかけになりました。

 

おまけ:なぜ「読書の秋」なのか?

ここからは単なるおまけです。

 

なぜ「読書の秋」なのか?「スポーツの秋」と両立させるにはいささかバランスが悪くないか?とよく思っていましたが、読書の秋はかなり由緒正しいもののようです。

 

唐代の詩人韓愈の読んだ詩で、

 

時秋積雨霽、新涼入郊墟。燈火稍可親、簡編可卷舒。

(引用:灯火親しむべし:意味・原文・書き下し文・注釈 - Web漢文大系

 

秋になって名が雨もやみ、涼しさが丘に入ってくるようになった。明りに親しめるようになったので、書物を読むことができる。

 

大まかに解釈するなら、こんな感じの意味になると思います。久しぶりに漢文の和訳問題に取り組んだ気分です。

 

また、「秋の読書週間」が設けられたのは戦後で、これはアメリカの「チルドレンズ・ブック・ウィーク」が11月頃に行われていたのにならったとのこと。

(参考:公益社団法人 読書推進運動協議会

 

アジア由来の伝統とアメリカの文化が混じった、意外に興味深い習慣だということが分かりました。

 

今後も大学生として、秋に限らずいつでも「簡編卷舒」できるようにしたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは~

 

 

 

 

新型コロナ関連の法規が難しすぎる(個人の感想です)

僕は今学期、社会保障法演習に参加しています。

 

東大法学部の「演習」は、他大でいうところのゼミに近いものです。少人数で、教授や学生と議論しながら特定のテーマを学ぶというところで共通していますが、半期〜長くても1年で終わってしまうという決定的な違いもあります。

 

社会保障法演習を選んだ理由の1つは、3Sで社会保障法を履修したものの実力不足で撤退(試験「放棄」)したので、リベンジしたいと思ったからです。

 

試験問題が解けず諦めたとは言え、ある程度は学んだということで、これを活かして今回こそ深い理解を得ようと考えました。

 

もう1つの理由は、昨今話題の新型コロナに関する話題、特に病床数の不足についてじっくり調べてみたいと思ったからです。

 

この話題についてはニュース等で目にする程度で、どういった制度や法規が背景にあるのかということはほぼ理解していませんでした。

 

何もないと調べないまま終わってしまいそうだったので、これを機に本腰を入れて取り組んでみることにしました。

 

それで、演習での発表担当が明日に迫っています。初回報告のためハードルは低いのですが、ある程度体裁は整えなくてはなりません。

 

ここ数日それなりに時間をかけて調べていましたが、関連法規や事務連絡の多さ、複雑さにかなり苦しめられています。

 

似ているが指し示す概念は違う、という用語が多い上、補助金関連の事務連絡も頻繁になされ、連絡についての改正もあります。

 

さらには、感染症法における新型コロナの規定も複雑で、準用にあたっての読み替えがだいぶ絡み合っています。

 

例えば法26条2項は以下の通りです。

 

第十九条から第二十三条まで、第二十四条の二及び前条の規定は、新型インフルエンザ等感染症の患者について準用する。この場合において、第十九条第一項中「患者に」とあるのは「患者(新型インフルエンザ等感染症(病状の程度を勘案して厚生労働省令で定めるものに限る。)の患者にあっては、当該感染症の病状又は当該感染症にかかった場合の病状の程度が重篤化するおそれを勘案して厚生労働省令で定める者及び当該者以外の者であって第四十四条の三第二項の規定による協力の求めに応じないものに限る。)に」と、同項及び同条第三項並びに第二十条第一項及び第二項中「特定感染症指定医療機関若しくは第一種感染症指定医療機関」とあるのは「特定感染症指定医療機関、第一種感染症指定医療機関若しくは第二種感染症指定医療機関」と、第十九条第三項及び第二十条第二項中「特定感染症指定医療機関又は第一種感染症指定医療機関」とあるのは「特定感染症指定医療機関、第一種感染症指定医療機関又は第二種感染症指定医療機関」と、第二十一条中「移送しなければならない」とあるのは「移送することができる」と読み替えるほか、これらの規定に関し必要な技術的読替えは、政令で定める。

 

まず長さだけでびっくりしてしまいますが、そうした長さや、カッコの中にカッコがあるなどの形式的な複雑さだけではありません。

 

条文中で「厚生労働省令で定める」と書いてあるのは、感染症法施行令や施行規則など(他にもあるかも)で別に定めているということです。この対応関係が複雑なんですよね。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。

 

行政法を修めた人からすれば、これくらいは当たり前なのかもしれません。しかし、現在まさに行政法第2部(行政救済法)を履修している僕には、なかなか荷が重かったです。

 

しかしまあ、いい勉強にはなっている......気がします。明日の発表に向け、なんとか目処を立てられるように、あと少し頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは〜

お風呂でYouTubeを見るのをやめ、空白の時間にしてみた

今週のお題「お風呂での過ごし方」

 

ということで。

 

昨年度末くらいまでは、お風呂場にスマホを持ち込み、YouTubeで動画を流しておき、画面を見ずに音声だけ楽しむということをしていました。

 

音だけでもある程度内容がわかるように、音楽をかけたり、ポケモンなどコマンドバトル系のゲーム実況を流すことが多かったです。

 

しかし、4月に入ったくらいからこれをやめました。特に大きな意味はないのですが、もう少し日常に空白の時間をもたせようかな、と思ったのがきっかけです。

 

お風呂に入っているときくらい、外界からの情報を遮断して、自分の頭の中に浮かんできたことに思いを巡らす。そのほうがいいかな、と思ったわけですね。

 

最近は、社会保障法演習(ゼミみたいなもの)で次回発表するための内容に思いを巡らしています。

 

病床数が足りなくなってしまった原因を考えるというのがテーマですが、関係法の規定が非常に入り組んでいたり、法律ではない通知などの文書に規定が散逸していたりして、調べて理解するだけでも一苦労です。

 

一苦労というよりは、理解が及んでいないという方が正確ですね。

 

こういう難しいことは、お風呂のようななにもないところでぼんやりと考えているくらいがちょうどよいです。そういうときのほうが、ちょっとしたいい考えが思いついたりする、かもしれないと期待しています。

 

ということで今週のお題でした。これに乗っかって毎週更新できるといいですね。

 

 

 

 

 

 

 

それでは~

二郎系の偉大さはニンニクにあり

今日はインターンの昼食で家系ラーメンを食べに行きました。

 

ここ最近よく行くお店なんですが、今日はなんと新メニューが出ていました。その名も「背脂ラーメン」。

 

もやし・キャベツの上にたっぷり背脂がかかった豚骨ラーメンときたら、それはもう二郎系とかなり近いお味ではないか。

 

そう期待して注文しました。

 

結論から言ってしまうと、「おいしい、が、なんか足りない」という感想を抱きました。

 

着丼の瞬間香る背脂と豚骨、シャキ具合の残る野菜、柔らかめの麺、角煮風チャーシュー......。

 

どれもとてもおいしかったです。味変にお酢や白黒胡椒もかけて、無料の小ライスまでしっかりいただきました。

 

しかし、何かが足りない。どうもあと一つのパンチが欲しかったな〜と思いながら、店を後にしました。

 

そうして気づいたのです。ニンニクがなかったということに。

 

ただの家系ラーメンなら、きっとニンニクはなくても良いのでしょう。ラーメン界に精通しているわけではないのでよく分かりませんが。

 

しかし、二郎系を期待して食べてしまった以上、僕はどうしてもそこにニンニクの刺激、パンチを求めてしまうのです。

 

なお、「二郎じゃないんだから、そもそもそんなの期待するな」というご指摘はごもっとも過ぎて何も言い返せません。

 

とにかく、今回の一杯を頂いて、改めて二郎系ラーメンにおけるニンニクの偉大さ、いや、脂っこいラーメンにたっぷりのニンニクを添えた二郎の偉大さを改めて思い知らされました。

 

こんな感じのしょーもない日記を、これからちょこちょこ書いていきたいです。ちなみにこういう類の発言は毎回していますが、ちゃんと続いたためしがありません。

 

 

 

 

 

 

 

それでは〜