微分積分席替え気分@東大

河合塾本郷校での浪人を経て東大に合格した文一生による、のんびりとした日常のブログ。

学習、学問に対する貪欲な姿勢

今日は、昨日予告していたとおりもう一つの中国語の試行授業があり、久々にお世話になった先生の声を聞くことができる……はずでした。

 

しかし、よくよく日程を確認してみたところ、試行は明日の午前中とのこと。本来の授業開始時刻の5分前から画面前で待機していた僕のワクワクを返してほしいです。笑

 

というわけで、今日あった授業は1限の古典ギリシア語だけでした。今セメスターは中国語のみならず、「教養」学部を味わい尽くそうということで個展後も履修したいという意思の実現です。昨年同じ授業を受けていた同クラの友人からの評判もよく、ギリシア語を始めとする様々な語学に精通する4つ上の先輩もおすすめの授業とのことで、結構楽しみにしていた科目です。

 

ギリシア語はもともと扱う内容が多く、通年での受講を想定しているほどであるだけのことはあって、今日は初回ながらしっかり105分授業が行われました。録音が全員に共有されるので、試行期間だからと出席しなかった学生にも不利になることはありません。

 

今日の内容は、古典ギリシア語を学ぶにあたっての基本的な話(「古代」ギリシア語でも「現代」ギリシア語でもなく、この講義で扱われるのは「アッティカ方言の古典ギリシア語」である、ということなど)が中心でした。また、ギリシア語が文法体系などの麺において「完成」された言語であり、それを「不完全」な言語たる日本語などで捉えていくのは難しい、などという話もありました。

 

そのうえで、今後学習していく上でのこの授業における鉄則として掲げられたのが、

教科書で学んだギリシア語文字列を無限に音読し、耳で聞き、身体に染みこませる訓練法を取ること

ということでした。単語や文法を細々と覚えていく学習法も存在するとはしながらも、古典ギリシア語においては音で学習していくのが重要かつ非常に良い方法で、続けていくことで「ギリシア語が教えて呉れる」日が来るとのことでした。この表現はかっこいいですよね。笑

 

また、この授業のシラバスには、

常々声に出してギリシア語を発音すること。これを耳で聴くこと。諳誦、諳記を厭わぬこと。忘却を恐れぬこと。絶望せぬこと。

とも書いてあります。この言葉は、ググってみると少し検索に引っかかるので、おそらく教授がシラバスなどにいつも書いていることなのでしょう。ギリシア語の学習に予想される困難さと、学習者に求める貪欲な姿勢が伝わってきます。こういう事を言って説得力のある人間になりたいものです。笑

 

そして、最近もう一つ学問への強い思いを感じた話がありまして、それは先日行政法を聴講したときのことでした。

 

教授が、講義を始めるにあたって今後の学習方法や教科書について説明している際に、昔に教えていた学生の話をつかみとして入れてきました。

 

当時から今まで、その教授は授業に必要な教科書を4冊紹介し、それらのうち一つを選んで使うようにというふうにしていたそうです。しかしながらここで紹介された猛烈な学生は、4冊全てを用い、それぞれに目を通しながら熱心に学習していたとのこと。僕も紹介された教科書はAmazonで雰囲気を見てみましたが、決して入門用の生易しいものではなく、どれもその分野で定評のある基本書・体系書であり、当然分量もなかなかのものでした。

 

その学生はいま某大学の行政法の教授として活躍しているとのことで、やはり学生時代からそうした片鱗が現れているんだなと思わされましたね。それにしても4冊全部を比較検討できるというのは、相当な情熱と貪欲さが必要ですよね。僕は、一応学部2年生なりたてという言い訳が可能でありつつ、1冊の教科書にさらっと目を通すのもままならない状況で、まだまだ精進せねばなという思いです。

 

ちなみに、ここで話に上がった元学生の教授は僕も名前などを存じ上げている方であり、その方の書いたブログや書籍などで「法学部・大学での学び方」が明かされているので、せっかくこうした時間の有り余っている時期を生かして参考にしていきたいです。

 

せっかくお金を払って大学に来ているので、もちろんサークルなりバイトなり遊びなり(恋愛なり?)にも生を出しつつ、学習、学問に貪欲に向かっていきたいなと改めて思わされました。

 

こんな事を言っているのも「四月病」の典型症状であるということも、読者の皆様方には覚えておいていただきたいところではありますが。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは~