微分積分席替え気分@東大

河合塾本郷校での浪人を経て東大に合格した文一生による、のんびりとした日常のブログ。

『教育格差ー階層・地域・学歴』

久しぶりの読書感想です。今回は早稲田大学の准教授である松岡亮二先生の著作、『教育格差ー階層・地域・学歴』を扱います。

 

この本を手にとったきっかけは、川人ゼミの新入生に教育格差に興味があるという人が多かったことから、教育格差関連のFWを開催したいと思い、そのためにもまずは基礎知識を付けなければ、と思ったことです。最新の新書大賞で3位を受賞した話題作であることは知っていたので、ちょうど良い機会だと思って読み始めました。

 

この本は、就学前から小中高とそれぞれに存在する教育格差について、データを通して徹底的に分析していくものです。後でも触れますが、この本の特徴はとにかくデータにこだわるところで、ぼんやりとした感覚や印象ではなく、あくまで確固たるエビデンスによって格差を明らかにしようとしています。そのため、読後感は重かったですが、その分確かな知識を得ることができたと思います。

 

今回は、本書の内容のうち特に気になった・驚いた箇所についてあげていきます。やや長い、ともすると冗長な感想になっていますが、この感想が著作を手に取るきっかけになっていたなら幸いです。少なくともこの感想よりは圧倒的に濃い内容がそこにはありますので。当たり前ですが。笑

 

 

・教育サービス利用の有無と同じかそれ以上に親の学歴がこの学歴に関係してくる

親が高学歴(大卒)である事によって、親の教育への意識が高く、早くから子の教育に関わる要素を揃えていることや、子が大学を卒業するというキャリアを描きやすくなることが、学歴の再生産のようなことが起こる主な要因になると考えられています。

そのうえで私が驚いたのは、教育サービスを利用していた親非大卒の子よりも、教育サービスを利用していなかった親大卒の子のほうが、大卒である割合が高いということです。教育サービス、すなわち塾のようなものを利用しているかどうかが学歴に強い影響を及ぼしているのではないかという認識があった僕としては、それ以上に親の学歴のほうが強く相関関係にあるというのは予想外でした。

 

・公立小中学校間でも地域感・学校間格差が存在している

これについてはある程度実感するところだったものをデータを通して確認した形になりました。僕は公立小中高と進学してきましたが、通っていた小中は、その地域のターミナル駅が最寄りである、ビル群に囲まれたような学校であり、確実に他の地域の公立小中に比べ通学者のSES(社会経済的地位)が高かったと感じています。赴任していた先生方からも、僕の通っていた小中は「おとなしい子」が多いという評判を聞くことが多かったです。これはある意味一定水準の教育を家で受けてきていることを表しているのではないでしょうか。

 

・高ランク高校は入学後すぐに塾に通う

この指摘については、僕の母校である高校がこの傾向の反例になると思いました。僕の母校は「塾通いは必要ない、高校での学習を丁寧にこなせば十分難関校に合格できる」といういわゆる事象神学校的な教育がなされる学校でした。実際、周りで塾に通っていたのはある程度限られた人たちだけで、例えば自分の部活同期について言えば、高3時点で11人中で塾利用者は4人だったと記憶しています(僕自身は利用していない)。また、その4人も大方は3年時になってから入ったので、入学時点というともっと限られてきます。もちろん、こうしたいわゆる例外が存在するということは、全体の傾向を見る時にあまり意味を成さないというのも理解していますが。

 

・レジリエント(困難・苦境から立ち直る)生徒はどの国でも少ない

このデータを見た時は、やはり「逆転」というのは非常に難しいことなのだなと改めて思いました。受験業界などでは特に「逆転合格」が語られるような印象があり、書籍などでも何かと「低偏差値からの有名大合格」というような話が取り沙汰される事が多いと感じます。しかし、こうした話は結局一部のもので、傾向としては確実に生まれによる格差が存在しているのだということを痛感します。逆転のエピソードは希望を与えるものであり、単純にエンタメとしても面白いものが多いですが、そうした話ばかりに注目して大勢を見失わないようにしないと思います。

 

・教育を個別化すると格差拡大

これはある意味で当然のことだと思いつつ、昨今は「個別最適化」という話が教育にもよく出てくるので、それを推進する人たちはどのような手法や対策を取ろうと考えているのか気になるところです。高学力層のさらなる発展と、勉強についていけない低学力層の丁寧なフォローアップという高尚な理想が実現すればよいですが、そう簡単な話でもなさそうだと感じています。高学力層については、その多くが高SES層の出身であるために、教育への投資が潤沢に行われ、様々な個別最適化された教育サービスに早くからアプローチすることができるようになるでしょう。一方、勉強についていけない人をその人のペースで支え、一律学習でおいていかないというのもとてもいいことだと思います。しかし、そもそもその勉強へのやる気をどう引き出すかとか、勉強それ自体への意義を見出していない人に向けてどのような効果があるのかということを丁寧に検証しないといけないのではないかと考えています。現在経産省は「未来の教室」と称した実証事業によって、EdTechの推進などにより個別最適化された教育の提供と次世代型人材の育成を目指しています。今後、そうした事業の行く末に注目していきたいと思います。

 

・データの収集方法の一つとしてのRCT(ランダム化比較試験)について

冒頭でも紹介したとおり、この著作は徹底的にデータに拘っており、今後への提言の一つとして、データの継続的収集をあげています。これは、これまでの日本の教育製作が確かなデータに基づいたものになっていないことを憂慮し、データをまず収集することが不可欠だというものです。そのうえで、効果的なデータ収集方法の一つとしてRCTをあげています。これは医学などにおいて広く用いられる手法で、研究の対象者をランダムに2つのグループに分け(ランダム化)、一方には評価しようとしている手法での介入を行い(介入群)、もう片方には介入群と異なる手法(従来から行われているものなど)を行うというものです(参考:https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/randomized_controlled_trial.html)。これによって、特定の教育施策を行う群と行わない群を比較し、その効果を見出そうとするわけです。しかし、教育分野においてこうした実験が行われることに対しては強い反対が予想されます。教育はその人に一生ついて回りかねない問題であることなどから、倫理的にどうなんだという批判などが考えられるでしょう。少し毛色は違いますが、今年本格的に始まるはずだった英語民間試験導入に対する現役高校生なドラによる強い反発があったことも、そのような反発を予想できる一つの例になるでしょう。

そうでなくても、全国学力・学習状況調査の結果を公開することに対して「地域感の差が可視化されると、学力比較のようなことが起こって望ましくない」などと言った懸念が従来からあったわけなので、こうしたデータの取得にはまだまだ課題が多そうです。

 

というわけで、以上のとおり気になった点をあげてみました。衝撃だったことや印象深かったこと、今までぼんやりと抱いていた感覚がデータによって確かになったことなど、非常に興味深い要素がまだまだ盛り沢山でした。改めて、ぜひ手にとっていただきたいと思います。ここまで押すと松岡先生の回し者みたいですね。笑

 

また、川人ゼミの方で実施したこの本に関する勉強会についても、外向けに発信できる程度の感想を今度書きたいと思います。そちらもかなり刺激的な内容だったので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは~